あなたは「普通はこうだよね」とか
「ああでなくてはならない」と言われたことはありませんか?
それが目上の人や力がある人から言われると
「自分はそんな風に考えていないのに、合わせないといけないのだろうか・・・」と考えてしまいます。
人にはそれぞれの価値観があります。
「自分と違う価値観は間違っている」と決めつけていたり
または「自分の価値観は間違っているのだろうか?」と思ってしまう人もいます。
自分の価値観で生きることができれば
必要以上に不幸を感じることもありません。
他人の価値観で生きてしまうと
本来なら感じなくてもいいような不幸な感情まで味わってしまいます。
自分の人生は恵まれていないと思う人は
いつも誰かの人生と比べています。
上手く行っている人の人生と比べて
自分の人生が同じように回っていないと感じると
人生が停滞していると思うわけです。
自分の価値観が中心の生き方になっているかどうかがポイントとなります。
この記事をご覧いただきますと
・価値観を強要してくる人に合わせてはいけない
・自分の価値観を貫く方法
という事についてお分かりいただけます。
もくじ
自分の人生がダメだと思うときは誰かの人生と比べているとき
「自分の人生が上手く回っていない・・・」
「ひどい人生だ!」と思うとき、必ず比較している対象があります。
多くは上手く行っている人の人生と比べてしまいます。
そもそも、比べていなければ
人生とはそういうものなんだろうと思って過ごしていくだけです。
例えば、電気も通っていないような島で育ったとします。
そこでは食べ物も自給自足で暮らしています。
テレビもネットもないので外の世界のことは全く分かりません。
島から出なければ、それが普通だと思って暮らしていけます。
ところが、島から出てみるとたくさんの人が暮らす街があります。
そこには、夜でも明るい電気があり、たくさんの人を早く運ぶ交通機関も整っています。
ショッピングセンターに行けば
自分の畑でとれる作物の種類をはるかに超える野菜や果物があふれていて
肉や魚も必要な分だけ簡単に手に入ります。
見たことのない便利な電化製品などもたくさんあって
みんなが快適に生活をしていることを知ります。
それから島に帰っても街の便利さを知ってしまってから
島での生活は不便を感じるようになり
何もかも自分は恵まれていないと感じてしまいます。
島から出てはじめて街の生活の存在を知った人にとっては
井戸からの水くみをしなくても蛇口をひねれば水が出る。
家畜の世話や畑仕事をしなくてもスーパーで食材が買える。
ランプを使わなくてもどこの家にも電気が通っている。
自分の生活に比べて外の生活がうらやましい・・・。
こんなふうに「自分は不幸だ」とか
「人生が上手く回っていない」と思う人はいつも何かと比べています。
他人の人生と比べて不足感を感じてしまうのは他人軸になっているときです。
自分軸で生きることができると
人の人生が上手く回ろうとどうであろうと全く気にならなくなります。
例えば会社で失敗した時も「自分はダメなんだ」と思わなくなります。
自分が基準だからです。
「次はこういうところに気を付ければいい」ということを知ることができた。
「勉強になった」と思うだけです。
ジャッジするから苦しくなる
外部からジャッジをされて比べてしまうこともあると思います。
例えば「〇〇さんはこうなのに」というような
誰かと平気で比較してくる人もいます。
おそらく誰かと比較すれば
言われた人は比較した対象の人を見習うだろう
という発想なんだと思います。
昔はこういうことを言う人が今より多かった気がします。
しかし、そう言われても全然気にする必要はありません。
誰かと比べるなんて
目上の人であろうとどんなに偉い人でも
「この人は失礼なことを平気で言う人なんだな」と、思っていればいいのです。
誰でも目上の人から
「○○しなければいけない」
「○○するべき」と言われた経験が一つや二つあると思います。
うちのお姑さんの例ですが、学のある頭のしっかりした高齢者です。
私は未だにこんなふうに言われます
「日本人なんだから、歴史にもっと興味を持たなければいけない」
「外国人に日本の歴史について聞かれて答えられなかったら恥ずかしいでしょ」
「日本人が髪を茶色に染めるのはおかしい」
日本人とはこういうものという想いが強いです。
自分の価値観が一番正しいと思っているだけならいいのですが
それを人に押し付けようとするところがあります。
会社にいいたら老害と言われてしまうかも知れません。
私も日本人としての心を大切にしたいと思っている方ですが
大切にしたい基準が全然違います。
それでも、言っている本人は
私の価値観が間違っているので教育してあげようという親切心で
言ってくれているんだなあ、ということは感じています。
その想いはとてもありがたいのですが
私は歴史に全く興味がないし英語もできないので
一生外人に日本の歴史について聞かれることはないと思っています。
茶髪もおしゃれだと思っています。
私は今50代半ばなんですが
40代のころまでは古い価値観を押し付けないでほしいと思っていました。
それどころか「全く今の時代についてこれていない」とすら思っていました。
お互いが自分の価値観が正しくて
相手が間違っていると思っていたんですね。
こんな頭が固い二人が自分が正論だと言って
相手の価値観を変えようとしても全く意味がありません。
価値観に間違いなんてない
価値観はそもそも
誰かの価値観にそろえるものではありません。
自分の価値観は自分のものです。
価値観をそろえようとすると
自分と違う考え方をジャッジするようになります。
人によって価値観が違うのは当たり前で
自分が正しくて相手が間違っていると考えるからややこしくなるのです。
そもそも人の価値観なんて結構いい加減です。
日本人に茶髪がおかしいと言って
大学生の孫が茶髪にするのを止めるお姑さんも
白髪の人が紫や緑に染めるのは美しいといいます。
私は私で茶髪で生まれてくる人はいても
紫や緑の髪で生まれてくる人はいないのだから
それを言うなら茶髪の方が自然なのになと思っていました。
もともと、紫であろうと緑であろうと
別に変だとかおかしいなんて全然思っていません。
自分が挑戦したいことは
何でもやった方がいいと思っています。
言っている本人にとってはどちらも正論なのです。
お姑さんには
日本人はこうでなくてはならないという価値観の宇宙があり
私にはいろんな価値観が共存する宇宙に住んでいるだけなので
こう言われたからって悩んだり傷ついたりする必要はないのです。
「○○でなければならない」と言われたら
そういう価値観の宇宙に住んでいるんだなと思えばいいわけです。
プライドが高い相手の場合
なおさらどちらが正しいという話になれば怒らせることになり
こちらも気分が悪くなります。
もし、価値観を押し付けられたら「私、そんなのできな~い」と
バカを装い結局自分の思い通りに生きる方がいいと思っています。
「うちの嫁はバカだからしょうがない」と思ってくれた方が
私は結構自由に上手く行くのです。
こんな風に、価値観を押し付けてくる人がいたら
真正面から受け止めない工夫をするといいです。
その結果、波動も下げずに済み人生も上手く回っていきます。
まとめ
価値観を人に合わせたり価値観の違いをジャッジしても
自分が苦しくなったり場合によっては険悪な状況になります。
そもそも価値観はどれか一つに統一するものではありません。
価値観はひとりひとり違って当たり前です。
もし、自分の考えを押し付けてくる人がいて
それが目上の人でも違うと思えば受け入れなくていいのです。
自分も含めてですが人の価値観なんて
いくら正論のように言っていても
よくよく聞いてみると結構いい加減なものです。
自分の価値観で生きることができれば
必要以上に不幸を感じることもありません。
不幸は誰かと比べたときに感じる不足感が大きく関係しています。
自分の人生は恵まれていないと思う人は
いつも誰かの人生と比べています。
自分軸で自分を基準にして生きると
人の人生が自分より上手く回っていようと気にしなくなります。
外部からジャッジしてきたり人と比べてくる人がいたら
「この人は失礼なことを平気で言う人なんだ」と思ってください。
平気で失礼なことを言うような人の言うことなんて
聞かなくていいんです。
自分はそんな失礼なことを言われて
いい人間ではないと強く思ってください。
その人にはその人の価値観の宇宙があり
自分には自分の価値観の宇宙があります。
時にはバカを装っても自分の価値観を貫いた方が
精神的にも楽だし波動も下げなくて済むし
結局自分のためになります。
もし、価値観を合わせることを強要する人や
ジャッジをする人が現れても波動を下げないように
真正面から受け止めない工夫をしてみてくださいね!
波動を上げて良い人生を引き寄せましょう!
あなたの人生がさらに良くなりますよう心からお祈りしています。