あなたは平気で人に迷惑をかけたり
理不尽なことをする人は
天罰を受けないの?
という疑問をもったことはありますか?
前回の記事は
理不尽な目に遭って
怒りや悲しみの念が ぬぐい切れないとき
波動を上げる前に
負の感情は出していいという
内容でお伝えしました。
↓
今回は前回の続編で
神様の視点でみると
どんな風に見えるのかという内容です。
この記事は
・神様は罰を与えるのか?
・神様の意思にそって生きて行けばいい
ということについてお伝えしています。
もくじ
因果応報とは
因果応報という言葉を聞いた事があると思います。
原因と結果の法則で
自分で蒔いた種を狩るということです。
因果応報というと
人をいじめれば
今度は自分がいじめられる
というような
悪い種をまいた結果
悪い出来事を刈り取る場合もあれば
逆の場合もあります。
人を助ければ
今度は自分が助けられる
ということもあります。
今回は悪い行いの場合について
お伝えしています。
人間は魂の学びため地球に転生している
なぜ、因果応報があるのかというと
いろいろ説があると思いますが
私が自分の体験や周りを見ていても
多分、これだなと思う
一番しっくりきているお話を
お伝えしていきます。
私たちの魂は成長段階の途中にあり
魂を成長させる為に
この地球上に生まれてきました。
何百、何千と生まれ変わりを繰り返して
学んでいる魂もあれば
まだ、人間に生まれ変わった経験が数少ない
若い魂もあります。
魂の年齢は肉体の年齢とは
全く関係ありません。
なので、世の中の人を見ていると
大人なのに子供じみてあきれてしまう人や
逆に子供なのに
大人顔負けのしっかりした考えの人がいます。
若い魂は
まだ人間としての経験が浅いため
人の気持ちが分からなくて
人を傷つけてしまったり
自分さえ良ければ人はどうなってもいいと
思う人もいます。
しかし、最初は誰でもそうだったのです。
過去世は忘れてしまっているため
自分は違うと思うかもしれません。
魂は無知から始まり少しずつ
その成長段階に合わせた学習をしていきます。
そのためこの地球上で
出会う人や起きる出来事は
自分の成長のために用意された
プログラムと言えます。
私たちが生まれた目的は
愛を学ぶためです。
愛は神様そのもの。
気の遠くなるような長い長い期間をかけて
一歩一歩神様に近づくためです。
神様は罰を与えるのか
因果応報が天罰と思う人もいると思います。
私は神様は罰を与えるというより
間違いを気付かせるために
悪い出来事を経験させていると思っています。
神様から見た間違いというのは
愛とは逆の行いの事です。
幾千も輪廻転を繰り返している魂も
まだ人間の経験が少ない魂も
神様は同じように愛を注いでいます。
神様にとっては
どの魂も愛おしいのです。
分かりやすく言うと
あなたが猫好きで
たくさんの猫を飼っているとします。
その中でいつも餌を独り占めしようとする
食欲旺盛の猫がいます。
あなたはその猫に
罰を与えようと思いますか?
他の猫から見たら
とても理不尽に思えて
天罰が下ればいいと思っているかも知れません。
でも、猫好きのあなたから見たら
どの猫も可愛い家族ですよね。
猫に高度な学習能力があったら
他の猫の事を
思いやる心を学ばせたいと思いませんか?
魂を成長させるために生まれてきた私たちに
間違った思考や行動をしたときに
嫌な出来事を通して
「違うよ」とメッセージを送っています。
身近な例でいえば
気に入らない人を無視したり
いじめたとします。
すると、いずれ
自分が無視されたり
いじめをされる側を
体験することになります。
その体験によって
人から無視されたり
いじめられることは
つらくて悲しいことだと学び
こんな事はしてはいけないと学習します。
それが、天罰というような言われ方に
なるのだと思います。
この因果応報は
今世に表れる場合もありますが
来世以降に出ることもあります。
今世に表れない理由は
今の魂のレベルでは乗り切れないから
という考え方があります。
この世で起きる問題は
自分が乗り越えられる出来事しか
起こらないと言います。
中には隠れていじめをして
誰にも見つかることなく
いじめた相手が何も言わない事をいいことに
「しめしめ」と思って
なかった事にしている人もいるかも知れません。
しかし、こればかりは
絶対になかったことにはできません。
そこが、少し怖いと思うかもしれませんが
嫌な出来事を通して
自分の間違った行動に
気付けばいいのです。
罰ではないのです。
因果応報を乗り切る方法
もしかすると
この動画を見てくださっている方の中で
過去に人を傷つけることを
してしまったと思う人も
いるかもしれませんが
因果応報を恐ろしいと感じる必要はありません。
因果応報を乗り切る方法があります。
この話は人によっては
つらい話になったり
受け入れがたい
と思うかも知れません。
信じられなくてもOKです。
こんな考え方もあるんだなと
捉えてみてくださいね。
因果応報を前提で考えると
起きる出来事は
すべて原因があって結果があります。
これをベースに考えると
今、つらい出来事を体験している人は
原因をどこかで作ったことになります。
そういわれても
自分は人に何もひどい事をしていないし
原因が思い当たらないんだけど・・・。
という場合
もしかすると
過去世に原因があるかもしれないと言う事です。
私もそうです。
パワハラを受けたとき
過去世で原因を作っている可能性があると聞いた時
「そうなのか、私がやらかしていたのか~!」
と妙に納得できました。
過去世の魂では
因果応報を乗り切れないので
今世に出てたという事です。
この原因になる行いをカルマといいますが
結果が出ればカルマは解消となります。
ところがその出来事を悲観に思い
いつまでも悪口・不平不満を言ったり
相手を恨んでいると
いつまでも解消することができません。
気付かせよう気付かせようと
望まない出来事が
どんどん強く表れます。
この状況を乗り切るには
「過去世で私も同じようなひどいことを
やらかしたかもしれないんだな~
それが今出ているんだな」
と思うだけです。
気付くだけでいいのです。
そして
神様の意思にそった生き方を
して行けばいいのです。
神様の意思にそった生き方とは
今あるものに感謝をして
愛のある行動をしていくことです。
頭ではそう理解していても
起きた出来事や理不尽な人を
恨んでしまうこともあります。
目の前の出来事に納得がいかないと
腹を立ててしまうこともあります。
人間はどんなに出来ていると思う人でも
神様から見たら足元にも及びません。
意外にも神様はそれでいいと
思っていらっしゃるようです。
「誰でも間違いを犯す」
それが人間だからです。
私たちが間違った行いに気が付き
自分に出来る範囲でいいので
愛のある行動をしていると
神様は喜びます。
いきなり人間が
神様のようになるなんて
望んでいません。
それが宇宙の法則にのっとって
生きると言う事になり
そういう神様の意思にそった生き方をしていると
不思議と人生が上手く行くようになります。
まとめ
この世に天罰はあるのかと考えた時
神様の視点でみると
私たちに行いや考えの間違いを
気付かせるために
望まない出来事が起き
それが、天罰のように捉えられると言う事です。
しかし、神様は
罰を与えたいと思っている訳でなく
間違いを気付いて欲しいだけなのです。
今、理不尽な目に遭っている方からすれば
「なんか、納得できない」と
思われるかもしれません。
しかし、因果応報で考えたとき
今体験している嫌な出来事が結果だとすると
原因を作っているのも
自分という事になります。
心当たりがなければ
過去世にあるのかもしれません。
因果応報を解消するには
「そうか、自分が過去にやってしまった事なのかもしれないな」
「理不尽な目に遭うと、つらいし悲しいよね」
と思うだけです。
そして、これからは
神様の意思にそった生き方をすればいいのです。
とは言え
私たちは神様ではないので
今は、自分に理不尽なことをする当人に
愛のある行いなんてしたくない
と思ってもいいのです。
今は自分の本心でしたいと思う
愛のある行動をしていくことが
最善の方法です。
あなたの人生がさらに良くなりますよう
心からお祈りします。